日本で一番最初の奥共同店を訪ねました
2月末に訪ねた沖縄では、日本で最初にできたといわれる奥共同店へも行きました。
明治39年(1906年)に設立された奥共同店は、糸満盛邦さんが公共心に厚く、
自分のの雑貨店の利益が大きいことを認め、これを官民共同の事業として、
有志に声をかけて、奥共同店として産声を上げました。
現在は組全員が株主として、一人1000円の出資をされています。
人口は多いときは1300人でしたが、現在は183人で高齢化率は50%となっています。
事業もこの店舗だけでなく、『食で奥区を元気にしよう』とお茶の販売など特産品の開発や
棚田オーナー制度など、さまざまな取り組みをされています。
買い物の拠点だけでなく、地域コミュニティの集会場としての機能も持っています。
店の経営は、店長や区長、宿泊管理人などは全部選挙で選ばれるのみんなのお店です。
職員は子育て中の方を雇用し、都合が付かないときは、4,5名の登録した人がお手伝いをしています。
商品の配達もして、みんながほしいものは置くことにしているので、1600種類の商品が並んでいます。
この種類も多いときもあったそうですが、現在はこの種類で落ち着いているということでした。
暮らしに必要な物の数は決まってくるのだと思います。
どこの地域も買い物難民などで困っているところがたくさんありますが、そのことを解決する
最先端のお店として参考になるものがあります。
お話くださった糸満さんは、都会で働いた後、帰ってこられて活動されています。
全員の合意形成は難しいことですので、有志5,6名が中心になって進めているそうです。
「地域づくりは戦い、実績を見せれば足を引っ張ることはなくなる」と自信に満ちた
言葉でした。